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​<日天意神示について(2)>

日天意神示について(1)で述べた、太陽を創造し、地球を創造しという事ですが、話が大きすぎますか? 宇宙では目に見える星アークトゥルス星は太陽の大きさの26倍あるといいます。 太陽の113倍の明るさを持つといいます。 どれほど巨大なのか想像もつきません。 この宇宙には天の川銀河が数兆個あり、天の川銀河にある星の数も数兆個といいます。 しかも、多重次元の宇宙としたらもう無限に存在する星の数の中の地球という小さな星の中の人間一人の価値とは細菌や原子核よりもさらに小さい物質的存在であります。 そして五感という限られた性能の知覚でしか物事を感知できないのですから、耳や、嗅覚は犬にも劣ります。 その知覚や感覚と火花のような瞬間の時間軸の経験をもとに判断する正しさの基準で争うとか排斥するって、どれほど愚かなことなのか、未熟で幼く原始的なのかがわかろうというもの。ですから、より高次元の宇宙の先輩たち、遥かなる無限次元の経験を積んだ宇宙人の中で地球人類に好意的な存在達、人類を造った者達に教えを乞う事や、教えに従う事によって多くの事を学び、実践することに多くのことに気が付くのだと思います。 元々はといえば、人間の体はたかだか100年の命ですから魂は何万年も何十万年も様々な星で修行を積んでいるのですから、もともと知っていることを思い出すという作業になります。 この宇宙の全ては神一元の世界とすれば神以外は何も存在していないのですから、人も神の一部分という事になります。 その大宇宙の英知、神の英知や体験経験を知るには自分から求めなくてはなりません。 その魂の成長の度合いによってどこまで知ること気付くことが許されているのかという事になります。 ですから、我等人類はもともとの自分とは?を知らねばならず、そこに基づいて気付きの階段を上っていくことで限りない感動や喜びや愛や人類の歴史、地球の歴史、宇宙の仕組み、この世の仕組みなどを知ることになります。知ること気付くことが許される段階とは、子供に本物の銃をおもちゃとして与えるわけにはいかないのです。 それほど深淵で偉大な神の力、想像の力、神の仕組みの精緻さを知るには、それにふさわしい魂の段階が要求されるのです。それを「聖なる神に向かう大河の流れの循環」といいます。 この人類に紛れて、それらに覚醒している宇宙人たちが混じって存在していることはあるていど知られるようにはなってきているのと、チャネラーたちによって宇宙存在達からのメッセージとして知られるようになってきている今という時です。 それは今という時だからこその現象です。 江戸時代にはありえないのです。 その前の時代にもありえなく、今だからこそその宇宙の仕組みが明かされつつあるのだと思います。 それを知って未来にはばたく者達と、信じることができない者達、知りたくない者達、かわりたくない者達というように縦分けされて移星していくことになります。

「日天意神示」より  「これより先に難しい仕組み、複雑に敷き為すことなどあらぬと思え。 仕組みは万全、用意すべて整い調いて迎えたくくり結びであるから、目に見えてその変化見ゆるよふになってから慌てる吾人には何一つ間に合うことなくなりてしまうこともあると、身のわきまえ以て日々過ごすこと、くどくくどくも申し置くものなり。建速の風吹きすさび、大國の地ならしと共、九頭竜に守られて白金の柱ことごとくまばゆい光差し届く時至る。」  今わの際に置かれた人類の今という時の大事さをどう生きるのかという道しるべなき危うさを見るに忍びない時にいたっています。 ともに歩まれますよう願うばかりであります。

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​<神から人へ(1)>

混沌とした世界に於いて、日本に降ろされた高次元存在(神)からのメッセージは人類にとって重大な内容を伝えています。 宗教は自分たちが気付いた真実やそのやり方や修行法を広めたり護持するための団体のことを言いますが、それぞれの正しさに固執するために人類の争いの根源となっています。 本来、真実とは神と人の個々の契約や導きに向かうものであって団体が表舞台に立って支配するものではありません。 <神から人へ> 後巻より抜粋

「人へと伝えし教えならば、神の言葉を人に知らせよ。 この世の変わり目、この世の終わり、時は移りて始まらんとす。 この世の汚れも、間違いも人の造りし文明文化も、神の御心にそぐわぬものは、残さず消して、作りなおさん。全ての人に改心を。知らずに積みし罪科を、悔いあがなうはこの時なり。さらに伝えん、真の教え。真のことばと、神の意図。神は人へと伝えるらん。神の思いと人への願いを。人に求むる霊行を。今まだ知らぬ無縁の者にも、知りてもなさぬ愚か者にも。等しく与えん、最期の機会。最期の縁なり、この世における。心し聞けよ。書き留めよ。」 この神示の内容は、人を造りこれまで人類を導いてきた神と呼ばれる高次元の存在より人類にこの世の最後の導きの言葉を伝えよう。 心して聞くように。 という事です。 これを聞いた者は、見た者は幸いなるかな、さらにその真意を求めるべし。という事だと思います。 何千年も昔に伝えられた言葉ではなく書物ではなく。 今、人類に伝えている言葉ですから、そして日本人に先ず伝えているのですから心して聞いた方が良いに決まっています。

「ひふみ神示」にある、「だました岩戸からだました神が現れた。 その神が世界の模範となるべき日の本の民をたぶらかしてこの世をワヤに懸けてしまった。」というのは何を意味するのでしょう。 ほとんどの民は騙されているという意味に聞こえますね。 

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​<日天意神示について(3)>

「日天意神示より」

「アカネの珠に赤と白の光が交わり閃光となって輝き放ちたら道に乗らぬ者のけじめが音を立てて始まるぞよ。 立て分けは日毎にはっきりとして参るがゆえ見直し聞き直し宣り直しをしっかりと身につけよ。後にも先にも開闢開顕と申し知らせ参った時、静かに起こし越えたのであるぞよ。 いつまでも人の得心与えるための手間はかけておれぬ。 追いて来る者が全て。」 この神示の意味は深淵ですが、太陽に赤白の閃光のフラッシュが起きた時、これまでの神の導きに知っても知らなくても乗った者、乗らぬ者とその未来の行先が明確に変わることになります。 これより先、日毎にその現実が身近に感じられるようになるので、今まで真実を学んできた者も改めて更なる真実に向かい精進をすすめるように。正に天地始まっていらいの大きな地球人類の大変革の時が今訪れようとしています。 もはや人々を教え諭し導く時は過ぎているので追って来る者しか救えぬと解釈できます。一般的にソーラーフラッシュの事を日本語的に表現していると思います。 その光景は今まで、あらゆる生命を育んできた太陽という存在そのものが人類に一大転機をもたらすための仕掛けであり、ソーラーフラッシュが合図となって、空に宇宙船が満ち、空の色が変わり、まるでゲームの場面が変わって新しいルールのシーンに入り込んだような不思議な世界を体験するのかもしれません。 そもそもが仮想現実の世界であり、陰陽の働きによって現れた大宇宙において想念思い意志による素粒子、波動の変化を脳が感知翻訳している世界なのですからゲームのような世界と例えることも可能です。 或いは、自分の思いや想念を創造してそれを現わして自己体験しているという自作自演の世界とも言えます。 そこに気付く事で初めて自分の意思で現実を創造し始めることが可能となるのですが、そこに気が付き実践し始めると思い通り自由自在の世界が展開されていくことになります。 そこに至る頃には我欲、執着、自己中心、欲望、自己保身など動物人間としての意識が薄れ、宇宙、自然、法則、神、高次元な世界への関心が強くなります。 それは、この三次元地球での学びが終わりさらに高い次元での学びに向かう事を意味します。 その次元の扉が開かれてそこから光の世界に消えていくものと、行くことを拒否したり迷ったり躊躇するものに分かれます。 その扉の先の世界を望むものは迷いなく入っていくことができます。 しかし、これまでの地球の常識の価値観の中に漬かっている者には、未知の世界であり、恐怖が先に立ってこれまでの世界にとどまることを選択することになります。 そして、これまでの地球は浄化の嵐が吹き荒れ、あらゆる天変地異によってすべての生命が地球を去ることになるのだと思います。 それが日天意神示に示された神示の意味と思われます。

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​<崩壊前夜(1)>

遥か昔、人類が誕生したとき、人類が降ろされたときというか気が付いた時、それは巨大な恐竜たちが跋扈し、巨木が生い茂る弱肉強食の時代、原初の地球の生態系に何度か大きな変化が発生して気が付いた時、そこに自分がいた。 つまり神と人がともに新しい地球の歴史を刻み始めた最初の時、美しく温暖で豊かな大自然に囲まれ、海、山、川、野にたべ物があふれ、感謝と祈りによって互いに喜びの中で人類の未来を創造しはじめた時代があったのです。 それは宇宙由来の魂たちが、神々が創造した人類の中に人間の宇宙服をまとって地球に降り人生を体験し始めた時でもあったのです。この物理次元の時空の概念の中に展開される創造の世界、顕れの世界の面白さ、楽しさは非常に魅力的なものだったに違いありません。 それがリンゴの実を食べることで人間としてこの地上で生きることを選択した事を意味しました。 それはエデンの園を追放というよりも、地球の人類の歴史を担う事を了解した魂たちの必然的な成り行きというべきものでした。 それ故、神々との交信や生れ故郷の星との交信も普通の行われていたように思います。 そして他星から転星してきた異星人達は、この物理次元の法則の中での生活に慣れるにしたがって肉体という宇宙服の中に入る事で五感の認識が主体となり、肉体を維持する本能的な欲求や楽しみに心が奪われるようになり、様々な葛藤はあっても結果的に肉体人間としての認識の傾向が強くなり、いつしか彼らは生れ故郷の星を忘れ、自分が宇宙由来の魂であることを忘れ、徐々に地球に降りた使命も忘れ、神への祈りや感謝や交信も怠るようになって、原人類の支配層としての動物人間の価値観となってしまったのです。 そして今に至る人類の歴史が始まり、それは肉体人間の欲望、願望、楽しみ、優越感、競争などが人間としての基本的な概念として普通に認められる価値観の人類の歴史であり、人類を創造した神から見ると、それは「人類の暴走」であり神を恐れぬ所業となり、神への冒涜であり、神との約束を忘れ、神をないがしろにし、偉大なる神、想像を絶する神をも恐れぬありさまと映ります。 このような宇宙の他の意識体による人類支配や地球支配への思考操作、洗脳、誤った知識による選民意識、優勝劣敗や人間の欲望を主体とした文明へと発展してきたが故に、それは人類の英知では収拾不能な領域に至っているのが今という時です。しかし、神々にとってはそのような人類になるのはわかりきっていたことであると思います。 何故なら、異星間の争いや宇宙存在同志の目的は同じでも方法の違いや順序の違い、価値観の違いなどによって様々な葛藤が存在している事を知っていたし地球に関与している宇宙の存在も全部知っており、どのように関与し、何が起きているのかも全部知っていたからです。 だから、アトランティスやレムリアが沈んだ時に新しい文明を始めるにあたり、世界の中心として今の日本という地を作り、そこに純粋な神々の子孫を渡らせ、降ろしたとも言え、そこから世界人類を指導し導くために散っていった神々の子孫と原人類の現在に至る歴史が始まったともいえるのです。

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​<崩壊前夜(2)>

その歴史の流れは日本における縄文時代にさかのぼります。 今よりも高度な精神文化の栄えたアトランティスやレムリアの時代から生き残った異星人の魂を持つ者達と原人類の末裔たちによる新しい文明の始まりです。 つまり遥か昔の日本となる自然豊かな地に、神との交信を行う者達に導かれた人々の平和で豊かな生活を主とした者達が、使命感や自然環境や人間の持つ好奇心やチャレンジ精神によって世界中に散っていく事になりました。 それがシュメール文明やメソポタミア文明、インダス文明、長江文明、インディアン、インカなどの様々な人類の歴史へと繋がります。 それは地域性や、地域の原人類との摩擦や統治の仕方、教育など様々な異なる文明の発達となって行きますが、地域制、自然、人種、民族性や異星人の関与など様々な要因によって異なった発展を遂げていきます。 そうした人類の発展の歴史の中で、この人類を創造した神々の思惑が人類の方向性に大きな役割を担ってきたのです。 当然と言えば当然なのです。 何故なら地球を作り、人類を造り、何度も作り直し、アトランティスやレムリアの文明を滅亡させ、新たに現在の人類をここまで導いてきた神がこの文明の発展に関与していないわけはないからです。この現代文明における歴史認識というのはたかだか数千年を紐解いているのですが、それでも石器時代や、文明発祥といわれている時代、正に弱肉強食の動物人間の世界からの出発ですからワクワクするような歴史やおぞましい戦いの歴史など様々な民族、国家、個々の人々の様々な歴史が存在しています。 中でも重要なのは様々な歴史の趨勢の中の転換点となって大きく歴史が動く時、必ず自然の驚異や人類の歴史に大きな役割を担う人物が登場するのです。 そして、世界中に出かけて行った遥か昔の縄文人の末裔たちは日出ずる国、東の果ての聖なる魂の故郷へと導かれてたどり着きます。しかし、様々な異なる地で異なる生活や習慣や価値観を身にまとっているために、たどり着いた故郷の人々とは大きく異なる侵略者とも言える現実に直面しますから争いが起こり、強いものが支配していくことになります。 それが卑弥呼の時代、スサノオの時代、大国主の時代、朝鮮任那国の時代、三韓征伐や元寇の時代などにつながっていきます。 そして日本の戦国時代、江戸時代、明治、大正、昭和の戦争を経て今に至るのです。言えることは侵略者と映る帰省してきた人々には遥か昔の魂が宿っている人々であるために、侵略して殺しまくって入れ替わってしまうのではなく、この日の本の地の波動や大自然の豊かさや霊性によって同化していく道筋をたどったのです。その証拠に日本語が他国語に入れ替わってはいませんし、人種が変わったわけでもないのをみても、国民性が変わったのでもないのを見てもわかります。 そこに大きな神の意志が働いていると読むことができないでしょうか。 何故なら、日の本日本からすべてが始まっている大元の国が存在しないと神の経綸が成就しないという意味でもあります。 また、日本という国の地勢、人々の言葉の隠されてきた秘密が存在するからです。

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​<崩壊前夜(3)>

はたまた、諸外国の実情をみますと、ほとんどの国が犯し犯され、奪い奪われ、キリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教、イスラム教などに洗脳され、個人主義が横行し、選民意識や弱肉強食や唯物史観が普通となった世界が展開されています。

そうなりますと、恐怖とお金で支配され、宗教で洗脳されて支配されている人々からそれを取ってしまうと動物人間の世界へと逆戻りしてしまう事を想像するのは難くありません。 それは様々な自然災害時における人々の行動や、人を動物以下に扱う所業や、平気で人を殺してしまう人々や、他の平和に暮らしている国を侵略して自国のものにしてしまう国家や、乗り物の乗り降りにおける行動、人種差別、金儲けのため支配のための企業や、国家の乗っ取りや支配を企てる人々、自分の裕福は他の不幸を気にしない頭の良いとされる人々などキリがないほどの無礼狼藉腐敗汚辱にまみれた人類の上に立つ者に支配されているのがわかります。 第二次世界大戦日本では大東亜戦争ですが、日本から見ると鬼畜米英、敵国から見ればイエローモンキーとして、原爆の実験台にしたり、捕虜を殺してドラム缶で煮て頭蓋骨に細工を施してアメリカの恋人に送ったり、ドイツではユダヤ人の体の油で石鹸を作ったり、中国の歴史も悪逆非道を超えた人間扱いをしない世界が広がっていました。 白人国家以外の人種は動物として扱ったり認識している精神構造の世界だったのです。 それはインディアン、インカ、インド、インドネシアなど東南アジアの植民地、アヘン戦争、アボリジニ、黒人奴隷、日本人奴隷の輸出などどれほどひどいことを行ってきたのかなどキリがないほどの痕跡を見せています。 近年はだいぶオブラートに包んでいるものの、基本的な構造はさほど変わっていないし、この日本という国もそのような人々に支配されつつあるというのは知る人ぞ知るという有様です。 これほどの人類に対する悪行は今に始まったことではなく、遥か昔から動物人間の性を利用した地球支配の宇宙生命体の存在の力が働いていて10年20年とかではなく数千年の時をまたいだ図り事なので知らず知らずのうちに支配されてきているのです。 そもそも、数千年にわたり教育洗脳されてきて今の世界が出来上がっているのですから、それに慣れ親しんだ人類が気付くはずもないのは理解できます。 それを知るのにもっとも簡単な秤は、自然に調和しているか、自然界の働き、法則、動植物の生き方にマッチしているかと比較すれば明々白々となります。 人間の価値観、社会の価値観、歴史、風習、教育などどうでも良いことで、それは人類の問題であり、自然界の価値観とは相当に違っています。人類の前に宇宙があり、自然があり、地球があるのですから、人類は先ずそこをベースに生きなくてはならないのは当然のことです。それに反する生命体というのは自然界の法則によって淘汰の道を歩むことになるのです。 

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​<崩壊前夜(4)>

このような歴史によって今の人類があるのですが、相変わらずあちこちで戦争をしていて、戦争を仕掛け、計画し、ウイルスをばらまいて金儲けをして、国を疲弊させ、人間を殺しまくり、殺人ウイルスや殺人兵器と化したワクチン、殺人ロボットや人類を滅ぼしかねない核兵器で脅し、それが先進国であり、それが人類の中で強い力を持ち、それが国連の常任理事国といわれる人類の上に立つ国々です。 それは国ばかりではなく文明全体に言えることです。 企業で働く善良なお父さんたちと言えども、その企業がどれほど地球にとって悪であるか、自然に反しているか、人々を虐げ、洗脳し、強制的に安給料で働かせ、恐怖で支配してぼろぼろになるまで能力の限界まで追い込まれて、或いは、やっと生活できるくらいの共働きの生活で子供の教育もままならない生活に疲れ果てて、子供の夢も希望も規定化された思考や知識の中に限定され、人口減少に至り益々困窮する生活を強いられることになるのか、いつ戦争が始まるのか、経済は、医療は、年金は、物価は、株は、政治はなどの不安を煽られ、マスコミに支配され、操られ、洗脳された人々の群れという構図があからさまになってきています。 それは、もう詰んでいるゲームを詰んでいるとも知らずに積む時期の到来をコントロールされてやらされていると見えませんか。 簡単に考えて、人間でありながら人間を学ばず、自分が体をもって生きているのに体を学ばず、自然の中にいて自然を学ばず、経済や、嘘の歴史や、どうでも良い知識を暗記させられ、言葉の意味も知らず、人としての正しい人生観や人間としてのあるべき方向性や正しさの基準を学ばず、競争に明け暮れ、差別意識を高められ、良い学校、良い成績、従順な社会性、非個性化、平均化などの価値観を植え込んでそのような社会人を生産しているともいえるのです。 それが自然を壊し、貧富の差を拡大し、人間を差別区別し、戦争に駆り立て、不安と恐怖と欲望の渦の中に人類を放り込んで出られないようにしているという絶望的な詰んだ状態と言えます。 

さて、そのように見てまいりますと他星人たちとその手下の人間たちとそれに従う人類の支配層の人々の構図からの脱却は、数千年の図り事を仕組んだ人知を超えた知能の企みから逃れることはもはや不可能という結論に達するのではないでしょうか。 ましてや気付いたとしても何もできない、従わないと生きられないというのは詰んでいるという事です。 そうした状況において知らねばならない事を次の章で述べてみます。

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​<崩壊前夜(5)>

これらの支配された仕組み、詰んでいる事に気付いた人々はほんの一握りの者達と思います。知ったからといって何ができるわけでもないし、ましてや変えることなどできようはずもないとまずは知る事です。 それがわかれば、これまでの生き方、やり方で何をしようとも詰んでいるのですから無駄な努力という事になりますから無駄な労力はやめましょう。 別な解決策に向かいましょう。その第一歩は、〇「このような支配構造は絶対に嫌だ!間違っている!」と自分に宣言することです。 そしてできるだけそういう世界から精神的にも、肉体的にも離れる事です。 体の健康やバランスを保つこと、運動を定期的に心がける事、大自然の中にいる時間を増やすこと、自然を相手にした遊びや趣味を増やすこと、体の健康に悪いたばこやお酒や暴飲暴食、肉食を控えていくこと、瞑想の時間、自分との対話の時間を増やすことなどから始めましょう。 

〇次に、音楽や芸術性の高いものを見たり聞いたり、創作をしたり、創造性や未知の世界の読書をしたり、これまでテレビを見たりパチンコをしたり、酒を飲んでそのまま寝てしまったり、娯楽事、仲間との宴会などの時間をそのような創造性のない時間を創造性のある自分へと変化させていきましょう。

〇次に、思考、思想、想念、心、魂、意志、神といった目に見えない世界に自分を導いていくことが不可欠です。 そのために最初に行う事は、「うれしい 楽しい ありがたい」という言葉の頻繁化 「感謝 感謝 感謝に満ちた生活」つまり人間は本来そうあるべきという真実真理で大きな変化を起こす言葉を声に出していう習慣を身に着けることです。 それによって自分自身がそのような人になって行く宣言(祈り)をしていることになります。 何故感謝しなければいけないか、何が嬉しいのか、何が楽しいのか? 嬉しくも楽しくもないのにそう思えとか唱えよというのが不自然と思うかもしれませんが、何かかにか何でもよいので見つけて具体的に唱えてみることです。 奥さんがいつも洗濯してくれることだけでもどれほど有難いか、子供の笑顔がどれほど勇気をくれるか、健康であることがどれほど有難いか、なんでも感謝しきれないほどの感謝しなければいけないことにあふれていることに気が付くでしょう。 

それを続けることで、様々な身の回りの変化に気が付き始めます。つまり究極的には、自分が自分の宇宙の創造主であり、すべては自分の創造の産物であり、すべての体験経験は自分が作り出していた自作自演の主役を演じていただけだった。 思い通りに自分の人生を創造できることに気が付いてきます。 そして、次に訪れるのは神から出でた自分の本質に気が付くこと、神に向かう喜び、神のもとにかえる安心感、神の働きをしたり、神に向かう事で自分の成長が加速することの満足感などが感じられるようになります。 そのためには、まず実行してみること、わからなくてもいいから、とにかく始めることです。もう詰んでいるのですからほかに道はないのです。

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​<崩壊前夜(6)>

そして、数億年の歴史を紡いできた地球の人類ドラマは終焉を迎え、新たなる未来が始まります。 それは、この地球という星を全員もれなく去らなければならない事が起き始め、人類の知識や経験をはるかに超えた未知の破壊と創造の始まりですから、すべての人類が巻き込まれて卒業していくことになります。人はたった100年前後でほとんど死を体験する生命体とすれば、70億人という人類が1年間に7千万人ずつ死ぬことになります。 その大惨事?は戦争やウイルスどころではないはずですが、人々はそれを受け入れているので問題にはなりません。 ところがこの数年間で70億人がこの地球を去るとしたら大惨事どころではない大異変と思いますが、そこに至る動きが始まっているのにはとんと無頓着なのが今の人類の哀れさというか悲しさです。 いま、一日一日、時間の数秒も惜しんで自分の真実に気付かなければいけない時に、趣味や娯楽や、退屈さをもてあまし、或いは、金儲けやこの世の栄華に向かい努力する姿は消えゆく陽炎の如しという有様に見えます。 この現実世界と思われている虚構の世界は、これまでの人類の在り方、生き方、選択の結果として表れている現象ですから、もはや残された時は少なく何もかも間に合わない今となっています。 この「世界を望む家」を通じて、この真実に出会った者は現象的には間に合わなくても原因の世界においては自己の真実に目覚めることが可能です。 その真実の魂に目覚め、真実の世界と自分が一体となることが現象世界の人生の意味ですから、そこに目覚めて真実に向かう選択をすれば、その場その時から光が差し、光が降りてきて自分の内からの光と同期をとり始めます。つまり迷妄の世界から真実の世界へと、蝶がサナギから羽化登仙するがごとく新しい世界に羽ばたくことが可能となるのです。 さすれば、この地上で何が起ころうとも、どんな状況に出会おうとも、たとえ死ぬことになっても大丈夫なのがわかるので安心して運命に従うことができます。 このfurano.blogをご覧になった方は数少ない神に導かれた者達と思います。 この富良野の地も大きく変化します。 何故なら聖地としての役割を担う事になっています。 一人でも多くの方が、このBLOGに出会う事を期待してこの「崩壊前夜」を終わります。

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​<教育について(1)>

洗脳も教育も同じようなものかもしれませんが、ここ数日イランからイスラエルに対して200発ものミサイル攻撃がなされてイスラエル住民はシェルターに避難をしました。 サイレンと爆音が鳴り響く中「アッラーは偉大なり」「アッラーのほかに神なし」「礼拝に来たれ」のスピーカーからの祈りへの放送が流れるという如何ともしがたい混沌とした戦場。 互いの市民は平和を望んでいるが、イスラエルを海にたたき落とすまでやめないとか、アッラー以外の神は認めないとか、攻撃される以上、抹殺しようという意思がある以上、守るためにはその脅威がなくなるまでそのすべてを一掃する。 ここに於ける根深い報復の因果と宗教の教義や誤った教育によって洗脳された人々の未来に平和は訪れるべくもないのが現状です。 誤った教育とは、自然に反し、虚偽に満ちた真実、双方ともに都合の良い解釈や正しさの基準、或いは自然や地球や宇宙の摂理、真理を無視した我良しの解釈、つまり自分たちに良い事、楽しいこと、嬉しいこと、有難いことは他方にとっての災いや悪いことという基準を言います。 植物にとって、森にとって、動物にとって、海にとって、地球にとって良くない事は、人間にとって良いことであっても悪いことであるという概念の欠如がもたらす混沌の極みが戦争という結果となって、或いは因果の果となって表れたものです。 中国の正しさの基準は台湾有事となり、ウイグル人を奴隷のように扱い、臓器移植で稼いだり、日中有事にもなります。 中国や韓国における子供のころからの反日教育は嘘のゆがんだ価値観によって大人になってから「日本人にはなにをやってもいいんだ」というような問題を引き起こします。 信頼される機関によって教育されると、人間というのは嘘であっても嘘とは思わず真実として受け入れてしまいます。 韓国の竹島教育も「古来から独島は韓国の領土」それを犯そうとしている日本は悪い国という嘘を教え込んでいるから彼らは「私が子供の時から独島は韓国の領土だった」となります。 そのようにして世界中で嘘だらけの教育や歴史が繰り返されてきているのです。 日本の歴史の改ざんも然り、アメリカの世界中で戦争の火種をまき散らす嘘もあからさまに恥じることもなくよくもまあいけしゃあしゃあと、見ている方も開いた口もふさがらないほどの厚顔無恥さを見せています。 この世界の現実は、あらゆる分野において嘘がまかり通っているといっても過言ではありません。 太陽光発電、二酸化炭素削減、ECOなんたらかんたら、医療、予防薬、薬品、麻、血圧、国家財政赤字、学校教育の意味、立派な社会人説、社会的常識の正しさ、マスコミの嘘、歴史の誤り、政治の在り方、選挙の不公平さ、支配者たちに牛耳られた政治や社会、ガンの早期発見を推奨する意味etc,,,  限りなく嘘のオンパレードなのである。そこに気付かない大半の人々の群れ、それをキリスト教的には「子羊の群れ」というのかもしれませんが、それらの人々と言っても一人一人、人生というものがあり、それらの嘘の価値観の中で必死に生きているのであり、そこからちょっとでも外れると危険とか不安に襲われることになります。 それが嘘の教育の恐ろしさであり如何ともしがたい幻想、迷い、信じ込んだ嘘の中で一生懸命人生に価値を見出しながら生きているというのは悲しい現実と言えます。 でも、そろそろそれらの夢から覚めないと大変な事になると知らなくてはなりません。 未来永劫悔いても悔いきれない残念となってしまわないように。 例え、怖くても恐怖の念がわいても、自分という者の本質、自分とは何か、人生とは何か、何のためにここに生きているのか、これから人類の向かう先はという真実に向き合わなくてはならないのです。 さすれば、いままで見てきた夢の中の人生の価値基準がすべて、洗脳、教育されてきた嘘の価値観によって築かれてきた文明であると理解できます。 何故なら、「自分とは何であるか」という基本的な基礎となる真実の理解がないまま、嘘か本当かわからない教育や洗脳の中で生きてきてしまっているのですから。 その基本が違っていたらすべてが違うことになります。 そして混沌とした光の見えない迷路の中で個人主義が蔓延し、宗教の違い、嘘の洗脳の価値観の違い、様々な違いに踊らされてカオスとなって行くのです。

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​<教育について(2)>

つまり真実の最初に戻る事をしないと、途中からの曲がった状態から進めても曲がったまま行ってしまいます。 根本が違えばすべてが違ってきます。 であれば、人間とは何であるかという根本が間違えば人間の本質から外れ、自然の中に生かされているのに自然を破壊し、地球に育まれているのに地球への感謝を忘れ、先行き崩壊に向かうしかない未来に猛進していくこととなります。 何故なら、最初が違っていて、この間違いに気づかないように仕組まれてきたからです。 誰によってか、、、、。 つまり、人類の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史という壮大な時間の中で「人生」のたかだか数十年の経験や嘘の知識や幼い知能レベルや五感という限られた知覚で気付く正しさの基準や真実がどれほど危うくつたないものであるかを知るべきです。 しかもですよ、体験しているすべてが幻想で過去の残像としたら何をかいわんやという事になります。 それなのに自分が自分が自分はという妄想の中にいては訳が分からない認識の中にいることになります。 では、どこから始めたらいいのか、何を最初の正しさの基準に置いたら良いのかという事ですが、最初に今までの教育や社会の常識、信頼する政治、マスコミ、企業、宗教のすべてが間違っているかもしれない、自分の正しさの認識は妄想であると知ることが大事です。 例えば、学校教育は何を目的にしているのかを知るだけで愕然とします。 資本主義の本質を知れば、社会主義の現実を見れば、豊かさの裏にある飢餓の群れをみれば、指導者達の本質を見れば、どれほど排他的で欲にまみれ人を押しのけ、人よりも優位に立とうと、人よりさらに持とうと、人をいかに貶め堕落させ支配するか、嘘を真実と思い込ませるか、利益のために人々を執着させるか、欲望に火をつけて真実から遠ざけるかという腐臭ただよう者達によって成り立っている社会というのが見えてきます。 ロシアのプーチンを見ればわかるし、ウクライナの日本からの支援金の横領や支配層の堕落ぶりをみてもアメリカの国民支配体制を見ても、軍需産業が生き残るには戦争を起こさなければ生き残れないし発展しないのは火を見るより明らかです。 世界人類の指導者達、力のある者達というのは基本的に強欲であり、自己顕示欲が強く、力の誇示を誇り、頭の良さをひけらし、人々の命を軽んじ、人々が力を持つことを嫌い、まとまることを嫌い、人々を無知の状態、無能状態、貧しい状態において生活苦の中で思考が真実に向かわないように、貧しくない状態の者達は3S政策で娯楽や遊び、スポーツ、芸能、暇つぶし産業なども向かわせ脳をマヒ状態、興奮状態に誘い、マスコミは嘘、大変さ、事件、災害などの報道で恐怖を煽り、どうでも良いニュースばかり流し、真実に目覚めないように知らせないように操っています。 国連の常任理事国はどこも戦争していませんか? つまり世界を動かしている人々がそのような世界を作り維持しているのですから良くなりようもなく、真実には目覚めないようにコントロールされているのがわかります。 そしてアトランティスが滅びた原因もそのあたりにあるのです。

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​<教育について(3)>

つまり、人類よりもはるかに進んだ知能やテクノロジーを持った異星人達による、地球支配の現実を認識しなくてはなりません。 何故なら、この無限の広がりの宇宙において、無限の時空において人類がいかに幼く、無知で、幼稚な生命体であるかという認識や、低次元の認識の中に置かれているかを知る事です。 それは遥かアトランティスの時代、つまり、縄文時代数万年以前の時代の事です。 今よりも高度な人類が存在していた時代があったのです。 その時代において人類と宇宙人の関係は普通に交流がありました。宇宙人達というのはこの物理次元に制約された地球で人類を作った者達と言えます。 その高度な文明が消滅したという事実を知れば、もちろん知ればという前提ですが、その原因が(2)で述べた様々な現象に宇宙人がかかわって来たこともわかります。 人類を創造した宇宙人たちは人類を滅ぼすために、地球を崩壊させるために作ったのではないはずです。 ある崇高な目的をもって人類を作り導いてきたのですが、当然のごとく宇宙人たちの関与によってその目的の方向性が大きく狂ってきたのが今という世界の有様という事になります。 本来の崇高な目的のためにあるべき人類の姿というのは、「宇宙との調和、自然との調和、人類を創造した存在への理解」が大前提となる生き方という事になります。 さて、この人類の中でどれほどの者達がその存在の根本に根差した認識をもって生活しているのでしょうか。 そこに気付くためには、人類の歴史や常識、社会の価値観や自分の認識以前に宇宙があり、自然があり、自分という存在のこれまでの認識の排除という事が必要になります。 これまでの人生の価値観の中からいくら思いをはせても嘘偽り洗脳が邪魔をして真実への認識には中々至ることができないのが現実です。 そして、今という時ほど真実に向かう真摯な気持ち、気付き、覚醒が大事な時は無いと言えます。 また、インターネットを通じた様々な情報やチャネリングを通じた地球外生命体などからの情報もありますが、人類にとってその真偽を見極められる者は極わずかという状態なので非常に混沌としており、その中に多くの危険もはらんでいます。 まあ、話は話として知っておくのも良いとは思いますが、先ずは自分を知る事、自然と共にある事、宇宙の知恵、偉大さなどに注意を向けることなど、絶対に間違いのない基準をもうけることから始めましょう。例えば、「自分が体験している、してきた世界はすべて自分の創造した自作自演、つまりすべて自分を体験した」と知るべきです。 良いことも悪いことも、おぞましいことも、嫌なことも悲しいことも、とても自分のせいとは思えないこともすべて自分の創作した世界、自分の表れを体験したというのが「真実」です。 そこがわかれば自分の世界観が変わります。

例をあげると、車を運転していて相手にぶつけられたとします。 自分は止まっていただけなのにぶつけた相手が100%悪いのは当然ですがそうではありません。その状況を作ったのは自分である事を知らなくてはならないという事です。すべての原因は自分にあるという認識が重大なのです。 それを知るか知らないかという人生の違いは計り知れないほど大きいのです。 何故なら、真実を知る第一歩になります。 そこを知らないと何も始まらないというくらい重要な認識なのです。 そこから始まる目覚め、目からうろこが落ちるように覚醒の扉が開き始めます。 もちろんそこに至ることが赦されたものにしか明かされない真実ともいえるのですが、このブログに到達した人はそれが赦された人々という事です。

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​<教育について(4)>

さて、そこまで来ますと自分の世界、自分の宇宙、自分の創造、様々な常識や歴史の間違い、人生の現実という虚構の世界の認識などが理解され始めます。 まず、絶対に間違いのない基準を構築始めることが大事です。 例えば、学校で教育を施す目的から異なってきます。 言葉を教える、文字を教える、表現力を鍛えるなど日本人として社会に適応する教育は基本的に大事として、自然から学ぶ事は限りなくあります。 地球から学ぶことも限りなくあります。 そして、その自然や地球の自分は一部分であること、地球や太陽に、宇宙に育まれている事を常に学びます。 そこを基本として人間とは何か、自分とは何か、自然とは何か、宇宙とは、人間としての自分の体はどのようにできているか、病気とは何かなどの人間としての本質を学ばなくてはなりません。 宇宙との調和、自然との調和、他との調和、そこが全ての基本となります。 また、それを教えられる人材を育てなくてはなりませんが、ほとんどいないのが今の人類の教育システムです。 それらをベースとした教育が行われれば、惑わされること無く宇宙と調和した学びが始まります。 また、宇宙存在にも惑わされることのない本当の人類の生き方、在り方を学ぶことが可能となるのですが今となっては不可能と言えます。 よって、なにが起きるのかというと不調和、不完全の限界点に達することで崩壊が起こるという事になります。 何の崩壊かというと砂上の楼閣の崩壊という事です。 この文明、文化、自然に反するテクノロジー、人類の全てに及ぶ大変化という事です。 そもそも、この現実世界というのは虚構というのは何度も述べていますが、結果の顕れの世界ですから原因が変われば結果が変わるのです。 その原因の世界においてすでに大きな変化が起きているのですから、それが結果として表れるのは時間の問題となります。 では、どのような教育が正しいのか、どうあるべきなのかというのは別な項に譲るとして、これまでの人類の誤った教育や洗脳によってどうなってきたのか、どうなるのかを述べてきました。 この世界、つまり現実世界、地球、宇宙、自然、そして多重次元の宇宙という設定の中において様々な大変化の予兆が見え始めています。 その変化は時空や次元を超えた大変化という意味であり、これまでの人類の長い歴史の体験や経験によって多くの魂たちが気付きの時を迎えており、その数がある一定の人口になる事が予想されることで起きる大変革という意味になります。 その意味する具体的な変化としては、サナギが羽化登仙して蝶になるような別世界に向かうという事と思われます。 毛虫や青虫で這いずり回っていた時からサナギへと形を変え、これまでの毛虫状態がいったんサナギの中で溶けてしまい、その中で蝶になるべく大変化が起きていて蝶になる時期、サナギのからを破って羽ばたくタイミングを待っています。 同じように、人類はいったん混沌とした訳の分からない大変革に見舞われることになり、魂の成長段階によって行先が違ってきます。 どちらにしても、これまでの地球を全員が卒業しなければならなくなるという事でしょうか。 でも、そうなる前に最後の気付きのための最終的な大イベントがあるようです。 その時に人々は乗るか反るか迷うか、何もしないか、それにも気付かないかというような、これまでの生き方や学んできた魂の覚醒の段階が試されることとなります。 どちらにしても自分の未来の未来永劫が決定する大事な時を迎えつつあるという事だと思います。 大事なキーワードは「すべてに感謝」「地球と共に、自然と共に、宇宙と共に、神と共に」歩むという祈りと言葉と自分の未来を意志する事です。

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​<神に向かう(1)>

人が平和を求め、愛を求め、豊かさを求め、安寧や平和に向かう時、その心を知らなければなりません。 何故なら、人は遥か昔からそれを望んできたし、今もそうありたいと多くの人類が望んでいる事と思います。 そして、現実的には戦争の国があり、平和な国もあり、豊かな人と飢餓に苦しむ人がおり、平和を享受して飢えてない自分がいて、その反対に生死をさまよっている戦争中の人々、貧しい人々が同時に存在しています。 庶民や人民、一般の人々は戦争は嫌だし、戦いたくないし、飢えたくないし、貧しくはなりたくないと思っているのに否応なく巻き込まれてしまいます。 平和な人々も、戦争中のニュースを見ることで、いつか自分も、この国も巻き込まれるかもしれない不安が付きまとうし、貧乏なくらしになる事を恐れています。 お金持ちはその富が減る事、奪われることを恐れ、地位のある者はその地位から落ちることの恐怖におびえ、職のあるものはなくなることを恐れ、常にある者と持たざる者、陰と陽、プラスとマイナスの両方を意識せざるを得ない存在であるという事です。 という事であれば、皆さんが求めている平和とは戦争を併せ持った平和のことであり、貧乏を容認した豊かさであり、不安の反対の安心を求めていることになります。 という事は、いつまでたっても永遠の平和はないし、永遠の豊かさも、幸せも安心もないという事になります。 つまり、自分が求めている豊かさというのは、貧しく飢餓にあえぐ者の上に成り立つ豊かさという事です。 他国は戦争していても自国が平和であればいいという平和を望んでいることになるのです。 何が言いたいかというと、それらは人間の世界の欲望や願望の真実の姿であり、いくら平和を愛していると言っても全員が平和にはならないことを意味します。 その証拠に、世界中に食べものがあふれているのに多くの飢餓状態があります。 いくらでもお金があるのに貧しさにおののいている多くの人々がいるのが現実です。 つまり、その思考や想念や願いではそうならない事に気付くべきです。 何故なら、この世界は「原因と結果」「陰陽のバランス」で存在しているからです。 であるならば、いくら平和を求めても無理という事になります。 その無理なことに努力したり、時間を費やしたり、大金を使ったりというまやかしから脱却しなければいつまでたっても埒があきません。 例えば、国連の常任理事国という世界の先進国が戦争を煽り、戦争を企み、他のものを奪おうとして、人をだまして金儲けをするのが国連だったり、お金を印刷するFRBや日銀が私企業だったり、石油や地球の資源を独り占めにしたり、人を助ける医療機関が金儲け優先で命も金次第というのが当たり前、常識としてまかり通っているのをみても明白です。 コロナやワクチンも同じですし、政治家たちの欲得、官僚の天下りなどなどきりがないほどの腐臭に満ちていると思いませんか。 結局のところ、皆さんが思ったり、望む人生や未来というのはまやかしであり、達成不可能という事に気付くべきです。 不可能という事が何を意味するかというと真実がないという意味です。つまり達成できない堂々巡りを繰り返す迷妄の中、夢の中にいることを意味します。 真実を望むのであれば、陰陽のどちらかを望むのではなく、陰陽を超えた平和、豊かさ、調和、幸せに向かわなくてはなりません。 より豊かになれば同時に貧しさを作り出すという豊かさではなく、みんなで豊かになる豊かさを求める。 みんなで平和になる。 そのためには、陰陽の世界に身を置く肉体人間を自分とする認識から脱却する必要があります。何故なら自分という者の認識が現実世界に展開されているというのが真実だからです。ですから、真実の自分(魂)が陰陽を超えたみんなが平和、みんなが豊か、みんなが幸せに向かう時に初めて、現実という世界にそれが表現されることになります。 つまり、この陰陽の世界に存在している肉体人間として、陰陽の理不尽さを体験し、陰陽の宿命の中の人生という舞台の中で主人公を演じ、陰陽を超えるために成長しなければ超えられない課題を与えられているともいえるのです。すべての問題は自分を成長させること、真実に向かう事によってしか解決できないという意味になります。

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​<神に向かう(2)>

「人間存在の宿命」という創造主が人間に与えた課題なのですから逃れようもないないことです。 そして自由意志を与えられ、肉体という波動認識装置に入って人生を体験しながら様々な問題で出会い、それを乗り越えて更なる高次元の人生ゲームに挑戦していくという構図に見えます。 それはすべての人間の宿命ですからどんな人でも、どこにいようと、どんな境遇であろうと、人それぞれの置かれた場所位置状況によってそれぞれのレベルのゲームに挑戦していくことになります。 でも、普通の人々はその人生がゲームとは思えないし、現実という日常生活の様々な制約や他からの浸食によって、それらに対処するのが精いっぱいという人々が大半ではないかと思うのです。 その日常生活の常識や風習習慣などを繰り返し体験しているのでおかしいとも違和感も感もなく、自分に起きる不都合のみに意識が集中してしまい、さらには3S政策であるスポーツ SEX スクリーンという政策により、真実に向かう事、自分の本質や内面に向かう事が出来なくされており、それに輪をかけて嘘の教育、マスコミによる洗脳、支配勢力による虚偽、でたらめ、茶番、世界的には3大宗教の支配や金持ちクラブの人類統治のシステムなどにからめとられているのが実情です。例えば、病院のために病人を増やし、警察のための犯罪者を増やし、支配するために選挙や政治を行い、庶民をだますためにTV局を操り、薬剤で儲けるためにウイルスを開発し、儲けるためにガンの早期発見を推奨し、長生きさせて儲けるためにイロウという植物人間を作り、と上げたらきりがないほど虚飾に満ちた世界が広がっています。 教育さえ均一的な性能の労働者を育成するシステムと化し、教育の最初から競争するように仕向け、他との違いを強調し、個性的であることを推奨し、ばらばらの個人主義を生み出して力を持たせないようにしているのが真実と思うのです。 そこに気付いた者だけが、そこから脱して真実の世界、真実の生き方、真実の自分へと歩み始めることができます。 そうでない者は残念ながらみんなと同じように何も知らないまま生きて人生を終えます。 死ぬときに人生はこんなものか、人生はおもしろかったと思うか、それぞれの思いはあったにせよ、真実をしらないままの自分の人生の幕を降ろします。 しかし、今までは何度も生まれ変わって人生体験を積むことができたので、何度もチャンスがありましたが、この地球という星においてはそのチャンスが無くなります。 であるからこそ、今という人生は重大な意味を持ってきます。 何故なら自分の偉大さ、素晴らしさ、重要さ、貴重さ、存在意義、無限の可能性を知るチャンスがあるからであり、新しい未来の地球に渡る可能性がでてくるからと言えます。 このブログを通じて一人でも多くの方に、自分の状況がどうであれ、自分という存在の偉大さを知ってほしいと思うのです。 その偉大さを知れば、知るほど更なる偉大さに気付き始めることになります。 そして、この世のまやかし、虚飾、偽りから目覚めて真実の世界へと歩み始めることになります。

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​<神に向かう(3)>

人生劇場、人生ゲームとして見ることができるようになった人々は、よりよく生きるためにそのゲームのルール、仕組み、道筋、目標、或いは舞台装置や脚本、をしらなくてはなりません。 何故なら人生をかけた命がけの舞台でありゲームなのですから、ルールや筋書きをしらないまま参加したらすぐに訳が分からないまま終了してしまいます、或いはへぼ役者を演じることになるのは明白です。 正に今、皆さんが生きていると思っている人生はそのような状況であります。 まず、皆さんが生きている世界は誰かが作ったのです。 皆さんという役者も誰かの想像です。 地球も太陽も、自然もすべてが作られたものであり、皆さんが今感じているように感じられるように作られています。 それは、皆さんの五感も脳の働きもそのように見えるように、感じられるように作られています。 としたならば(事実そうなのですが)作られたものとして、作った者の意図や意志、意向、目的を知らなければよりよい生き方はできないことを意味します。 或いは、それに逆らった生き方を選択すれば淘汰されることになります。 一般的には自然淘汰、適者生存という言葉があります。 では、我々が生きているこの世界の真実に入っていきましょう。 自分がいる世界は宇宙であり、地球であり、自然であり、物理次元の時空のキャンバスで何かを表現しようとしている肉体をもった魂と言えます。 何かをするための舞台装置とは宇宙の法則、自然界の法則、物理次元の法則をいいます。 つまり因果の法則、求めなければ与えられない、自然界の大調和の法則、自分が創造主であり、すべての体験経験は自分が創造した結果であるという重大な決まり事があるという事を知らなくてはなりません。 そして、それらを知り活用するためには、それらを真実であると認識しなければ使うことができません。 知っても確実に理解納得しなければ力とはならないのです。 それを理解納得するには自分とは何であるか、つまり神の分身、分霊、分け御魂、神の子、神から放たれた光、最後に自分は神と一体であった、神でもあるという事の理解に向かう事が必要となります。 何故ならすべての創造の主体は神だからです。 これは宗教ではなく真実、真理というものです。 人々のあらゆる問題は成長して魂の段階を上げなければ解決はできないように設定されています。 つまり、すべてのあらゆる問題は神に向かって成長することで解決されるものであると。 さて、そこの認識まで理解するなら、そこに至る段階によってどれだけの力が出せるかが決まってくることになります。 もちろん神に至れば全知全能の力が得られます。 そこに向かうためには前にのべた陰陽の世界、プラスマイナスの顕れの世界における価値観から脱却する必要が出てきます。 いつまでも正邪、戦争と平和、豊かさと貧しさを求めることは背反離反という二つの相反する概念の共存した世界の片方を求めることによってもう片方も同じ分量だけ作り出すのをやめることです。 そのためにはというあたりの解説をしていきましょう。

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​<神に向かう(4)>

背反離反を超えるには、簡単に言うと背反離反の働く価値観を求めないという事になります。 つまり、動物人間の本能を管理し、欲望、願望、自己中心、競争、個人主義から離れ、自然と共に、地球と共に、宇宙と共に、そしてみんなのために、みんなとともに、みんなにとって良いことは自分にとって良いことという価値観に向かう事です。 究極的には自然の意向、地球の意向、宇宙の意向、神の意向を知り、そのために生きることで宇宙の全てが従い応援してくれるという事になります。 そのような方向に向かうことですべてが好転し始めます。それは、自分がそうすると決めた瞬間から異なった現象が現れ始めます。 何故なら自分は創造主だからという事になります。 その自覚が深まれば深まるほど、高まれば高まるほど時空次元を超えた力が働きだすのです。 とはいっても中々簡単にはたどり着けない境地とは思うのです。 私自身も知識としては分かっていても自分が本心からそのものであるかと言えば凡夫であるとしか言えない有様です。 しかし、真実は真実としてそこに向かって流れているのが「聖なる神に向かう大河の流れの循環」という限りない時空の概念の中で人の歩む姿なのではないかと思うのです。 そして、すべての良きもの、素晴らしいもの、芸術性、喜び、嬉しさ、輝き、知恵、創造力、無限の豊かさ豊饒さはすべて神から流れてくるものであると知れば、神に向かわない事がどれほどもったいないことか、どれほど愚かであるか知ることになります。 今、この地球が終わろうとしている最重要の時にその真実に出会う事の重大さ、それは神の導きであり、誘いであると断言できます。 私は32歳の時に毎晩真っ暗な川の土手の散歩道のベンチにすわり「神様の仕事がしたい」と空に向かって何度も何度も話しかけました。 ある時、頭の中に「空海」という言葉が響き渡ったのです。 私は「弘法大師空海から学べ」という意味ですかと無言で問いかけました。 すると、またもや「そうだ」という声が頭の中に響き渡ったのです。 私にとっては、それで十分でした。 天上界から道が示されたからです。 神の認識に入っている自分、それだけで十分嬉しく、有難く、尊く、感謝にあふれて祈りと学びの道に突き進んでいくことになります。 真摯に道を求めるとき、守護の神霊、或いは高次元の霊団などからの導きや誘いがあると思うのですが、甘くはないと思う事があります。 「その言葉、思いはそなたの真実から出ているのか」そして、その道を行く覚悟の度合いが試されるという現実を体験しているからです。 求める内容が大きければ大きいほど、大きな試練に出会うという事なのだと思います。 しかし、求めなくては与えられることはないというのも真実です。 まあ、どちらにしても早い遅いの違いはあるにせよ、すべては神に向かう道程という意味では試され、気付かされ、導かれて、遮二無二、対応しなければ窮地に陥る出来事に見舞われることで進歩向上せざるを得なくはなるのですが、それでは、守護の神霊やご先祖様、高次元の存在達に大変失礼です。 自分から進んで神が求める未来に向かう事ですべてが好転していくのだと思います。 偉大なる神の創造の世界というのは、限りなく愛に満ち、喜びに満ち、嬉しさに満ち、感謝に満ち、光に満ち、希望に満ち、知恵に満ち、どこまで行っても驚きの連続であり、いったんその世界の素晴らしを知れば、それを知る前の自分には戻りたくなくなるほどさらに素晴らしい未来への展望を感じることができると思うのです。 どこまで行っても上限はなく、限りない弥栄の世界への旅と言えます。 それが神から放たれた光の子達の宿命と思います。 これから皆さんが体験する世界は人類始まって以来の重大事となります。 だからこそ、お伝えしています。 これまでの地球人類は終わり、体も魂も、すべてが神の秤に計られてこの星を卒業しなければならなくなります。 その今際の際にいるという今だからこそお伝えしています。

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​<神に向かう(5)>

その重大事というのは、これまでの地球と人類の全てが浄化のサイクルに入り、毛虫からサナギの状態に変化して、サナギから蝶に変化するように、地球そのものが新しい世界に変貌することになるということです。 例えでいうと、氷が水に変化するように、水は蒸気に変化するように、同じ水分ですが違う形態に変化するという事が起きます。 つまり、今までの地球の価値観とは異なった高次元の星へと移行するというような変化が起きつつあるということになります。 その高次元というのは、戦争や争い、他との比較、競争、悔しさ、悲しさや限りない貧困の連鎖や、支配したりされたりというような世界ではなく、清く、正しく、麗しく、美しく、純粋で謙虚で、愛、喜び、感動、与え合い、協力し合い、許しあい、助け合い希望に満ちた世界に向かう事であり、それを望まない者達が住めない世界に変わる事を意味します。 とすれば、これまで地球人類を支配してきた者達、人の上に立ってきた者達、豊かな者達、地位のある者達、指導者達、権力者達、優越感を持つ者達、勝ち組といわれる者達の大半は渡ることのできない地球という事になります。 つまり、そういう者達が人類の頂点にいて、自然を破壊し、資源を独り占めにして、軍事力や経済力を振りかざして世界を我が物顔に支配し、その欺瞞や横暴さ横柄さを隠そうともしないほど露骨になってきている世界であり、取り返しがつかない人類の暴走、物質文明の崩壊に向かう前のその浄化のタイミングが訪れたという事です。 それによって、これまでの人類の全てのカルマの清算、浄化が始まる事を意味します。 遥か縄文時代以前にアトランティスやレムリアの時代があり、それ以前にも長い人類の歴史が存在しています。 地球ができ、岩だらけの無機質な地球に水や海や土ができて動植物が繁栄し人類が現れた、そして何度も滅びてそのたびに成長して今の人類に至ったはずですが、実は今以上に精神的にも物質文明的にも栄えた時代があり、人間を創造した神々と人間が親密に協力しあって信頼しあってともに栄えた時代があり、「そこまで戻す」という神々の決定と意志の行使が始まるという意味でもあります。 という事は、これまで良い思いをしてきた者達、好き勝手行ってきた者達にとっては耐え難い災いの渦に巻き込まれることを意味するように思います。 或いは、そいう世界にどっぷり漬かって安寧をむさぼってきた者達も同じ運命をたどるという事になります。 地球始まって以来の大変動、人類が初めて経験する大浄化、それがどういうものなのか創造の域を出ませんが、多分、天候が極端に変動し、観測史上初めてという状態が普通になり、地震や、洪水、旱魃、暴風雨の凶暴化、津波、山崩れ、地殻変動、陸地の形状の大変化、沈む大地、浮かぶ大地、巨大津波などが起き始め、経済の崩壊、国家の崩壊、インフラの破壊、金銭価値の消滅などが常態化することによって多くの命が消失するというような世界になって行くと考えられます。 私たち人類はこのような浄化の嵐をしっかりと受け入れ体験して、何故、それが起きたのか、何故防げなかったのか、何が問題だったのか、間違いだったのかを悟り、それによって何が起きたのかという現実を残った人類の歴史に刻んでいかなければならないという事だと理解しています。 人の死というのは全員生まれていつかは死ぬのですから、早いか遅いかの違いだけなので、原爆で死のうが自然の猛威で死のうが大した問題ではありません。本当は死ななくてもよい大事な人生が無理やり奪われることになった意味を正しく理解する事が大事です。

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​<神に向かう(6)>

さて、人類の様々な様相と未来予測を考察してきましたが、ほとんどの人々はこの世界の原点を理解していないと思うのです。 原点回帰というか、最初というか、そもそも「自分は何か」という根本を正しく知らなければ、すべてにおいて正しい理解には至らないという事になります。 その結果、あらゆる宗教や常識、教育、価値観、主義主張、流行、日和見的に流される価値観、金だけ、今だけ、自分だけというような無軌道で的外れな見識で貴重な人生を誤ってしまいます。

そこで、絶対に間違いのない価値観や判断基準を身に着ける事が大事になってきます。 そのためには、自然界の法則、宇宙の法則、人生の法則というような誰が何を言おうとも「そんなことはない」と思える根拠を持つという事です。

他がどうであれ、社会がどうであれ、政治が経済が、周りが、マスコミが何を言おうとも「あれ、変なことを言ってる」と気付くと同時に、自分の人生を現実に即して対応していく叡智を養う事が必要です。 無農薬野菜が良いとはいっても無農薬では対応できないのは現実、大量に作らなければ生活できないし、借金も払えないのも現実、仕事が無くなったら生活できない、家族を養えないのも現実、子供を大学に入れないと社会弱者として苦労する不安、共働きしないと生活できないのも現実、このような現実はいつまでも現実としてのしかかってきますし、いつまでも繰り返し続きます。 でも、やっとこのようなジレンマから脱却できる有難い時が訪れようとしているという事なのです。 強制的ではありますが、そういう虚構の現実を踏襲するのはもうやめましょう。 という時代の訪れです。 それには覚悟が必要となります。 何故なら、これまでのような生きた方生活がそもそも成り立たなくなるからです。 お金があっても買えない、買う物がない、自分たちで作るしかない、工夫するしかない、あるものでみんなで間に合わせるしかない、これまでの便利さが一挙に崩壊していきます。 ガソリンがない、肥料がない、電機がない、お米がない、インスタント食材がない、衣服がないというような、どこまで何が無くなるかは分かりませんが、食料自給率37%以下の日本ですから何もかも輸入しなければこの便利さは持続できないのですから火を見るより明らかな惨状となります。 そうなってからでないと人間の本性というか本来のあるべき姿が現れてこないとも言えます。 そこまで行くと、助け合う者同士が集い知恵を出して、できる者が先導して、持つ者は分け与えるという者達の円居ができ始めます。 地位やお金や欲得で人を使ってきたものたちは、それが一切役に立たなくなってきます。 そして、これからの新しい地球に役立つ人々に光が当たり始めます。 「地球と共に、自然と共に、宇宙と共に、神と共に生きる」明確な意志、本来人間としてあるべき価値観をベースとした生き方を目指す者達に光が当たり始めることを意味します。 つまり人類を作り、育んでいる者達、導いている者達が求める価値観に従って生きるという人々にすべてが後押ししてくれる、サポートしてくれる、導いてくれる、応援してくれるという、神と宇宙人と人類の共同作業による新しい未来の創造の世界が始まるという宇宙文明の始まりを意味します。 そのような地球の未来が来ることを受け入れる人々は、心の準備と現実的な準備を始めると思います。 心の準備とは自分の真実に向かうという事であり、現実的な準備とはサバイバルモードに入ることを意味します。 寒さ暑さ対策、食物の確保、肥料や種子、腐らないものの備蓄、道具類、衣服、物々交換可能なもの、円居(まどい)ができた時にその円居にとって役に立つノウハウ、例えば山菜の知識や加工保存技術、建築技術、簡単な蘇生術、治療、薬草などの知識を習得することなどを常日頃心がける事が大事になってきます。 また、瞑想、祈りや高次元存在、守護の神霊たちとの交信というような事や感謝行なども大事な日課となってくるでしょう。 何故なら、神に向かう(4)で述べたように、すべての良きものは高次元の存在から流れてくるからです。

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​メッセージ(1)

2025年を迎えて世界を望む家からのメッセージ。 今年という年は人類にとって非常に大きな変動の時を迎えると予想されます。 それは、これまでの人類の価値観が壊れ始めることを意味します。 価値観が変われば様々な思い想念も変わることになりますので、今まで大事にされてきたもの、価値があると思われてきたものの全てに変化が現れます。 何故、そう言えるのかというのは、これまでの人類の価値観を常識として認識している人々にとっては理解のできないことかもしれませんが、人類というのは宇宙存在によって作られたものであり、その人間である自分は他の星から移星してきた存在という事や、これまでの人類の偉人聖人などは人類の方向付けを行うために高次元宇宙より送り込まれた存在であるという事を様々な体験から確信に至っているからです。 例えば、人間を作った存在の目的や、この世といわれる地球という舞台装置、宇宙の仕組みを知らずして、自分の真実の姿を知らずしてどうしてよりよく生きる事ができるのかと思うわけです。 例えば、これまでの人生に於いて正しいと思っていたことが、ある出来事をきっかけにして誤りであったとか、本当に申し訳ないことをしたという経験があると思います。 でも、今、皆さんが思っている正しさの基準や、常識という概念、人間という存在の理解、病気の理解、教育の理解、それらの全ての理解というのは「今の」という事であり極端には全部間違い、誤りともいえる価値観であります。 何故なら、「何を基準にして?」という根本的な問いがあるからです。 短い人生の体験を通して、偉い人の体験を通じて、有名人の、政治家の、信頼する人の言葉に照らして、一般的な社会常識に照らしてというように様々な基準による「今の」理解なのであり、万物は流転するという真実、限りない宇宙、無限に続く進化の過程や、より高次元な生命体の存在など、人類の数十万年も先を行く文明の精神性やテクノロジーさえも「今の」価値観でしかないのです。 であるならば、今の人類において様々な価値観を「真実」と照らして見直してみるという柔軟性が求められる時代に入っています。  どう見てもおかしいでしょ?という山ほどあるおかしな常識や基準。 例えば、キリスト信者で聖杯を受けた者は天国に行ける?じゃあ、そうでない者は地獄行きなのか? 死んだら全部なくなるのに、どうして幽霊や、霊魂の霊障や、ご先祖様のご加護を理解し信じられるのか、これを着なければ、かぶらなければ、他を信じてはいけない、自由、平等、博愛の矛盾や、宗教国同士の争いの現実など、例えば、金持ち、成功者、政治家、権力者、権威のある聖職者などが人類を先導しているわけですが、簡単に言うと権力欲、支配欲、金銭欲、他を押しのけても、我欲、執着の強い者という意味にもなります。 そして権謀術数に優れた者、つまり、騙したり脅したり、おだてたり、本当のような嘘をついたり、言葉巧みに誘導したり、陥れたりの得意な者が有利な世界でもあります。 そのような世界がさらに発展すると人の住めない星にしてしまうのは明白です。 水の汚染、環境の汚染、戦争、貧富の拡大と支配する者とされる者、原子力発電の増加による核汚染、巨大破壊兵器、宇宙のデプリ、食糧難、暴動、気候変動、地球の生態系の破壊などすでに限界を超えていることも多く、とどまる気配さえない始末です。 かといって、人間が成長して、進化していずれは素晴らしい地球になるというのは夢の夢であります。 何故なら、人類の上に立つ者達、指導者たちをみれば如何に人類が幼稚かがわかります。 世界の人口の70%以上がキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教というような価値観に固執して妄信したり、夢の中にいるとしたら、まずは夢から覚めることが先決です。 それさえも残された時間の中では難しいのです。

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​メッセージ(2)

メッセージ(1)で述べたように、人類の力だけで持続性のある地球の未来に向かうための可能性が低いために宇宙の仕組みとして、地球本来の目指す方向性へと大きく転換するのが今年という年になります。 もう既に何十年も前から人類には知らせてきているので、知る者は知り気付く者は気付いています。 そもそも地球誕生の時から地球を作る目的や人類の目指す未来みたいな青写真があったので、何度も成功したり失敗したりしながら今の人類に至ったともいえるのです。 その事を知る者は少ないですが、今となってはもうすべてが始まっており、準備万端整って動き始めているのですから、それぞれの気づきの段階において受け入れることしかできません。 今だ知らされていない者、気付かない者、予想だにしない者、そして感じ始めている者、知りはしたがどうしてよいかわからない者、知っているので準備を始めた者、すでに準備が整っていつでも良いという者など様々ですが、この既存の世界の価値観に固執したり執着している者、常識として受け入れている者にとっては、世界が壊れていくのを目の当たりにして右往左往することになりますし、信じていたものが何の頼りにもならないのを知ることになって行きます。 それは天変地異や経済の崩壊、政治の崩壊、社会秩序の崩壊、食糧難、弱肉強食の無法地帯という様相を呈してくると思います。 誰しも生き延びるのに必死ですから人のことなど構ってられない厳しい世界が予想されます。 そういう世界に巻き込まれないように必要なもの準備や精神的な心構えや覚悟とゆとりが大事です。 もし、殺伐とした状況に巻き込まれても気の合った仲間同士助け合いながら、協力しながら生き延びることが大事です。 それは、自然界が人間に与えた試練の時でもあり、神から見ると選別の時とも言えます。 そうなったときに初めてその人の本性が現れます。 どういう判断をするか、何を感じるか、どのような行動をするかによって未来永劫が決まって行きます。 宇宙の全ては因果の法則、陰陽の法則によって成り立っている世界ですから地球生命体の構成要因である人類が地球から排除されるにはされる原因があるのです。 人類の結果として表れた状況ともいえるのでその結果と原因をしっかりと確認しなければなりません。 それを乗り越えた先に新しい人類の未来が展開されることになりますが、残されたものは少ないとは思います。 これまでの我良し、我欲、執着の強い者は新しい地球の波動には合わないので他の星へと移星することになります。 それぞれが、それぞれの段階に応じた世界へと旅立つことになります。

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​メッセージ(3)

​つまり、すべての人類が一人残らずこれまでの地球を卒業することを意味します。 その卒業したあと、地球に戻ることはできないのでどこかの場所に行かなくてはなりません。 それがそれぞれの魂の段階に見合った星、魂の修行に適した星へと移動することになります。 その状況としては、皆さんが地球に生まれて赤ちゃんの時からこの地球や社会に適応できるようになるまで親に育てられ、様々な教育を経て大人になって行きますが、実際には他の星から移星してきたともいえるのです。 全ての記憶を失った状態で生まれてきますから、それでみんなと同じように普通で違和感はないのです。 それと同じように他の星へと移星しても違和感はないと思います。 それぞれの行先に生まれてその場所で魂の修行が始まります。 それが数万年、数十万年にもわたりそこで修行を続けるのですから、今という押し迫った時に、何に気付き何を学び何を思うかというのが非常に重要であるかというのがわかると思います。 更に重要な事が一つあります。 それは、地球はどうなるのか、何故、神々はこの一大イベントを用意したのかという事です。 そこがわからなければすべてが曖昧となってしまいます。 私の見解では大地震、大津波、世界中の火山の噴火、戦争、疫病、異常気象の極端化、巨大隕石の落下、ポールシフトというようなことが起き、死んで他の星へと移星するものと仮死状態になって新しく用意された次元の異なる地球に降ろされる者とに分かれると思います。 気が付いたら、人があまりいない温暖で安らぎを感じる世界に居て、ついさっきまでの地獄絵図は何だったのだろう?という思いや、いや確かに現実として体験したはずという狐に化かされたような状態になるのではと予想します。 そして、これまでの地球は放射能に汚染されてあらゆる災害によって文明の廃墟と化して火と水とによって浄められ、大陸は地球内部へと引きずり込まれ海だったところは陸地として浮上し、数万年というような再生に向けた長い眠りの時を迎えます。 であるとしたら今、人類として残された時をいかに生きるべきかという重要な課題が与えられたという認識に至る者は幸いです。 至らない者は、新しい人類の未来を体験することはできないに等しくなります。 その課題とは新しく用意された地球に降ろされて、その新しい地球で何ができるか、何をしたいかという問いに何らかの答えを見出さなければなりません。 それが新しい地球に降ろされる者の最初の課題となるからです。 まず自分には何ができるか、そしてどのような地球にしたいか、新しい地球で自分がしたいことは何かという答えをもってその時を乗り越えるという心の姿勢が重要になってきます。 つまり、どんな状況に出会っても救われる、助かる、何とかなるという自信というか、守られている感覚が芽生えます。(確かにそうなのですが、、、) 何が起きようとも、嬉しく、楽しく、有難く、尊く、希望に満ち喜びに満ちてこの難局を乗り越えて行こうという者達とともに生き延びることが可能となってくるのです。 次のメッセージ(4)では具体的な新しい地球の様子をお伝えします。

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​メッセージ(4)

​新しい地球は以前の地球と違って波動(周波数)が一段上がって高次元となっているので、これまでの地球の常識とはだいぶ違った世界となっていると思います。 まず、争い、収奪、奪い合い、侵しあい、競争しあい、比較しあい、働かないと食えない、生活できないというのがなくなり、信頼、愛、協調、認め合い、感謝、喜び、楽しさ、神聖さ、助け合い、与え合い、何をしてもいい、働かなくてもいいという価値観とともに、因果応報、神に向かい、光に向かい、芸術性に向かう傾向が強くなり、新しい地球に於いて人々の思い考え想念意図などによって時空、次元の概念を超えて短期間に成就する、或いはさっき思ったことがすぐに現実として現れるというようなことが起きてきます。 また、無限エネルギーの発明や、宇宙人との交流、テレパシーや、思っただけで相手に伝わるというような事、物に触らなくても移動できたり、瞬間移動や、宇宙旅行なども普通に行う事が可能になったり、寿命も500歳とか1000歳とか自由になったり、老いることもなく、若返ることも、美しくなることも、他の星の生命体とのコンタクトも可能となるというような驚きに満ちた宇宙文明の始まりを体験することとなります。 何故なら、これまで何百万年、何万年という時をこの地球で修行を続けてきて、新しい地球に渡ることが赦された魂たちですから、更なる進化に向けて、新しい地球の役割を担い、新しい創造の旅へと向かう事が赦された魂たちですから祝福をもって新しい地球に迎え入れられ、この新しい地球の未来を担う人類として大事な大事な魂たちなのであります。 このような新しい地球、新しい次元、新しい能力、新しい知識や知恵によって新しい未来が築かれていきます。 それは神と宇宙の同胞の異星人達と地球人類の共同創造の時代になると思われます。 もちろん宇宙の法則、自然界の法則、そして神の法(のり)から無限ともいえる創造の旅に出ることになります。 2025年という大きな変動の始まりの時を迎え何が起きても大丈夫という絶対なる信頼、或いは新しい地球に渡れなかったとしても、更に進歩向上した星への移星となるように残された時を大事にしてまいりたいと思うのです。

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​審判の時(1)

​2025年という年は、これまでの人類の軌跡の中で何度も滅びて、新しい歴史が始まるのを経験した中でも正に”最も重大な出来事”が起きた年として語り継がれると思われる。 その人類始まって以来の何よりも重大な出来事を目前にして人々は何も知らず、何も知らされず、何もわからずに ”気候の変動がはげしくなってきたな” という漠然とした不安を感じる程度で日常的な繰り返しの日々を過ごしています。 しかし、その異常気象の裏に隠された真実を知る者にとっては、何はさておいてもやらなければならない、やりのこした事に全力をもってやる事が唯一の重要事項と思え、よくもまあ天真爛漫にいつも通りの生活に明け暮れていられるものだと、人間の感性、予知能力、生存本能、これらが麻痺しているというか、まさか起きるはずもない未曾有の出来事が、もう待ったなしの状態にあるとは夢にも思わない人類の姿。 ユダヤ教徒のメシアが救いに現れるとか、約束されたカナンの地であるとか、キリストの復活とか、はたまた金持ちはシェルターに逃げ込むとか、海外の安全な地に移住するとか、火星に・・・・等々。 しかし、どれも的外れであり、どれも助からない妄想にすぎないとその真実を知る者には思われる。 それは、この地球ができる前から、そして人類がこの地球上に現れる前からの計画であり、人類はなんども滅びて、今の人類が始まった経緯やこれまでの人類の歴史の推移もすべて導かれ、方向付けされてきたという事を知らなければ、今回起きようとしている未来の出来事を推測したり予想したりすることはできないのも確か。 つまり、これから起きることは地球そのものが大人になって新しい役割を担う星となるために大きな変化が訪れるという事であり、それが何を意味するかというのは、子供が知恵熱を出して大人になって行くように、地球の大変革が起きるという事になります。 子供であれば高熱が数日間続くくらいで済みますが、地球そのものの波動や周波数が変わるという事の意味するところは甚大であり、未曾有の天変地異や経済の終焉、国家の崩壊、社会秩序の崩壊、食糧難、飢餓、弱肉強食、無秩序、カオス、天変地異による海没や隆起、電機、燃料、流通などの消失などを経験する事を意味します。 そうなる事を知る者、知らされている者にとっては、神の意志に沿った生存能力が試されることをも意味します。 しかも、新しい地球の未来に生き残るためには、その目的と意義を明確にして、それが新しい地球にとって有意義であるかどうかが試されます。 どちらにしても、この地球に於いて人類が積み上げてきたカルマの清算を死の間際まで見届けなければならなくなります。 そのような事態が起きはじめるのがこの2025年という年であり、もう待ったなしの状態に置かれていることを知る者は少なく、多くの知識人や経済人、政治家、宗教者などが如何に的外れな価値観に生きているかがわかります。 そして、それを知る者とは、今の世界人類の権力構造から離れている者達であり、謙虚さ、素直さ、純粋さ、愛に満ち、慈愛に満ち、自然と共に歩んでいる者達、真実の神に向かう者や、すべてに感謝の念を持つ者達の中に存在していると言えます。

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​審判の時(2)

​皆さんは人間の五感には感じられない世界をあまり意識しないで、五感の世界だけを現実として、常識として生きているので、目に見えない聞こえない世界を語る者を非現実的であるとか、かぶれているとか、変人、妄想扱いにする傾向が強いですが、非現実という世界が見えている者にとっては、五感で感じる世界が幻想であり、実体のない非現実の世界を「在る」として虚構の世界に生きていると見えます。 つまり、現実という虚構は、現れた世界、映された世界を実在と見て、それを継続的に踏襲しているが故に在り続けるのを見ているのです。 しかも、自分が生きていると思っている現実世界が“自作自演の自分を見ている虚構の世界”であるとは思いもよらずにという事になります。 なぜそうなっているかというと、知らせたくない者達、教えたくない者達、気付いてほしくない者達によって支配されているからであると言えます。 人々がそこに気付いてしまうと、これまでの支配構造、権力構造、社会構造が壊れてしまうからであり、カオス状態となってしまうからであります。 だから、気付いてしまう者が現れると、その者を社会的に抹殺したり、隠したり、レッテル張りをして影響がでないようにコントロールしてきているのです。 それは真実を教える宗教にしても同じです。 覚者からみると嘘と真実をまぜこぜにして、深淵で難解で神秘的であると思い込ませ、洗脳して精神的なカオスへと導いています。 その証拠に宗教者の多くは博愛を謳いながら個人主義であり、「神はすべてにましましてあまねく一切に及ぼし、、、云々」といいながら差別区別排他的であるために争いが絶えません。 真実とはその逆の世界を言います。 その真実を教えられていないために現実と非現実を逆さまに認識して生きていると思いこまされてのが今の人類の姿です。 その結果として、貧困、飢餓、戦争、病気の蔓延、経済支配、自然破壊、自分中心という世界が広がっているのです。 そして自然や地球と敵対するかのような自然を征服対象と捉えたり、資源の収奪や、環境破壊、他の生物への気遣いや思いやり、愛情をもって接するのではなく、わがまま放題人間中心の価値観で扱っています。 そうではない人間も多くいますが、おおよそ現代人の社会の価値観を共有して、その尺度の中の価値観で生きている以上、良いも悪いも許容し加担していることになります。 しかし、そのような世界観にどっぷりと漬かって生きている以上”真実”というものは「危険、現状破壊、怖い、非常識、妄想、未知、不安」と見えてしまうことになり、真実を求める者にとって「真実」とは珠玉の光り輝く世界であり、救いを求める者にとっては一筋の光であり、まばゆい宝石のような貴重な気付きと映ります。 そして、ほとんどの人々は、真実に気付かないまま未曾有の変化の中に放り込まれることになるのです。 それによって、信じられないことが現実的に起きてきて、これまでの虚構の価値観がすべて壊れていくことで夢から強制的に覚めることになります。 また、これまでの普通が消えてしまう状態が訪れます。 その時に起こる自分の変化は、生きることだけにすべての価値観が集約されていくことになります。 これまでの価値観がすべて役に立たない、意味のないものになって行きます。 例えば「法律」「警察」「お金」「政治家」など、、、、、

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​審判の時(3)

​ところで、皆さんは「自分とは何か」という問いに正確に答えられますか? 正しく自分を知らないとしたら、「自分を勘違いしている自分が何を思い考え行動してもすべては勘違い」という結果になるとは思いませんか。 そこに人類の大いなる過ちがあります。 そこを正しく認識できないためにすべての問題が起きてきます。 例えば、「自然界の動物の世界には本来怪我はあっても病気はない」「相手というのは、自分の気付かない側面の自分の顕れであり、他と争うのは自分と争うのと同じである」「天にツバする者は自分にツバしているのと同じ」という単純な真実に気付いた者は真実の自分への糸口をつかんでいるのと同じです。 しかし、知ってはいてもその言葉の深意を探ろうとしなければそこから先には進まないものです。 つまり「求めよさらば与えられん」と聖書にあるといいます。 つまり、求めない者には真実は明かされないのであり、水を飲みたくない馬に飲ませることはできないのであります。 であれば求めるようにする、飲みたくさせるのが厳しいかもしれないですが「慈愛」であると、或いは「最後の審判」であると言えるのだと思います。 その審判の時がもう目の前に迫ってきていると気付かないで、普通に生活している人々がそうなったときにどのような行動をとるのかが目に見えるようです。 自分を正しく認識する事は本来当たり前の事、或いは正しい歴史、正しい人体の理解、正しい人間の在り方や理解という基本が間違っていることですべてが間違って成長していきます。 それを砂上の楼閣といいます。 朝鮮半島の人々が「竹島は韓国の領土」と洗脳されて疑いもしないのと同じです。 日本がそうではないと根拠を示しても「強欲な日本」「わがままな日本」「嘘つき国家」「昔も今も変わらない侵略国家」という事になります。 ですから真実の自分を知らないと、その先の未来はあらゆる価値観の主張がまかり通り弱肉強食やりたい放題の世界となってしまいます。 真実に基づかない主張や行動は真実の前にすべて崩れ去る楼閣となってしまうのです。 今回の人類に与えられる試練とは、真実に気付くか気付かないかという選択が迫られることになります。 いくら助かろうともがいても真実に気付こうとしない者は助からない。 つまり生き残る資格に及ばないという事になるのだと思います。 その真実の自分を知ることは、宇宙の意志を知る事、神の意志を知る事、自然界の法則を知る事につながりますから、これから起きようとしている人類の危機が何を意味するのかという事も理解できるようになってきます。 つまり、人間の本来あるべき姿に戻りなさいという「お諭し」であり、それを受けてこれまでの人生を反省し、懺悔し、神に自然に宇宙に対して「どのように生きたいか」という答えをださなくてはならないのです。 その答えが認められる悟りであれば「新しい未来に生きる」ことが赦される。 それが救われるという意味となります。 宗教者が「救いの御手」という言葉の救いとは、新しい世界に生きることが赦されるという意味になります。 また、真実に気付かない人々がほとんどという状況にはなりますが、宇宙には様々な段階の星がありますから地球という星から、それぞれの魂の段階に合った星や世界に移行するという事になるのだろうと思います。

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